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多拠点居住、ナリワイ、そして『フルサトをつくる』こと

JUGEMテーマ:オススメの本

「フルサトをつくる」は単なる田舎への移住のススメや自然主義的な地方礼賛本でもない。

都会のほうが面白いことが多いし、イベントごともいっぱいあるし、人も多くて賑やかだ。

でも、地方は静かで、自然豊かで、家も土地もたくさんあって、畑をやったり、空き家再生したりと、することも意外と多いし、生活コストも低い。

ここで、都会と地方、どっちがいいか、みたいな話になるけれど、どちらか一方しか選べない、なんてわけでもない。

たまに遊びに行くことができて、いざとなったら、安心して帰ることのできるコミュニティがある場所、それが「フルサト」だ。

完全に田舎に移住しなくても、田舎の良さを味わいながら、生活の拠点をいくつか持つ。インターネットや交通網の発達によって、そうした生き方も十分可能になった。

田舎に実家がある人もいるかもしれないが、それとは少し異なる。
そうした血縁・地縁ほどつながりは強くないけれど、適度に気の合う仲間が集まる田舎のコミュニティ、といったイメージだ。


そんなもの本当にできるの?と思うかもしれない。
本書では、どうやってフルサトをつくるか、ということについて、実際にフルサトをつくって、一つの拠点としている伊藤氏と、それに乗っかったPha氏の二人で、自身のその実践事例を紹介している。

住む場所の見つけ方、コミュニティ・イベントの作り方、仕事の作り方(見つけ方ではない)、など。

本書の全体を通して感じる雰囲気は「無理しない」「頑張りすぎない」という力の抜き加減だ。

ずっとその場所で暮らすとも限らない、失敗してもほかの土地はいっぱいある、一人でやらない、楽しいことを見つけながらやる、
リスクはとらない、など「移住」という言葉の重さやハードルをできる限り下げてくれている。

Pha氏の「だるい」「めんどうくさい」という感覚は、一見否定的で怠惰な印象だけど、とても大切なことで、そういった気持ちを大事にしないと、どこかでストレスを感じてしまっていて、楽しいはずのことが楽しめなくなる。
彼の生き方すべてを肯定するわけでもないし、頑張っている人や、向上心の高い人を否定するわけでもないけれど、生きていることに疲れている人が大勢いるなかで、だるいなぁと思いながら、「面白い」と思うようなことを実践している彼の生活感覚はとても好きだ。
たぶん、同じ大学の卒業生なせいもある。あの大学は結構の割合で人をダメにする。そして、ダメな人のほうが面白く、価値が高いという文化が一部にあったりする。


「フルサト」というカタカナの故郷は、新しい故郷の考え方だ。

「ちょっとやってみませんか」という軽い誘いで本書は締めくくられる。

軽い気持ちでも、意外とやれる、ということを示してくれる多拠点居住・プチ移住の本というのも面白い。
そして、そんなフルサトでの暮らしやそこに集う人たちも、またきっと面白いだろう。
 
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なぜ「PTA」はめんどうくさいのか?

JUGEMテーマ:オススメの本

PTAに関する話題が、ネット上で散見される(毎年恒例の)時期になったので、改めてPTAの関連本を読んでみた。

 PTAが無くなったら、学校は本当に困るのか?

著者は、最近こんな記事を日経DUALで更新している。

この本の中でも、まず「PTAは任意団体で、強制加入させてはならない」という大前提を掲げている。

そういった説明やPTAの趣旨や目的のないまま、自動入会させられ、強制的に集金され、役員や何らかの係・委員会をさせられる、ということが問題だ、というよく考えなくても当たり前のような話から始めなければならない。

でも、組織に属していると、そういう会はいっぱいある。
地域の「自治会・町内会」もそうだし、会社の「社員会」もそうだ。もしかしたら、大学のサークルですら、他大学との「連合会」があって、それぞれ何らかの役回りをさせられたり、お金を取られたりしてるかもしれない。

それぞれ、本来、自分たちのためだったり、地域・子どものためという目的があるはずで、そこに加入することで得られるメリットがあるから活動する、ものなのに、「やらされてる感」が出てしまうのはなぜだろう。

本書でも、そうした疑問から、各地のPTAでさまざまな工夫がされた事例を紹介している。


それでも、毎年毎年「PTA」に対する不満、不平、悪い噂は絶えない。

いくつか原因が考えられる。

・役の交代が早く(1年任期等)、ノウハウが継承されない
・慣例が強く、やらされるものだ、という固定観念が強い
・地域・時代ごとに実情や課題が違い、その対応も異なるのに、議論のなかでは同じ「PTA」として語っている

教育や子育ての話題は、世代間で揉めることが多い。また、地域間でも同様に揉めることがある。

高度経済成長期の働き方と子育てをしていた親世代と、経済熟成期に入り多様な子育て・働き方をしている現役世代では、価値観は全然違うはずなのに、「PTA」の話になると、なぜか急に古臭い話になってしまう。


結局、それぞれの時代にニーズにあったやり方で、やりやすいようにやりなさい、というのがシンプルな答えなのだけど、そこにたどり着くまでに、親同士で長い長い議論が必要になりそうだ。

ただ、そうした前提条件だけでも、継承していくことは必要なことだと思う。
「PTA」に関する正しい情報を伝え、こういう柔軟な組織だよ、ということを絶えず伝えていく。

「PTA」が「めんどくさい」になってしまっているのは、なにか固定的な観念に囚われているからだ。

その固定観念を取り外してくれるのは、やはり経験者や先達なのだと思う。


ただ、それですべて問題が解決されるわけではない。

そもそも「教育」が公共財である、ということをもっと政策として重視すべきだと思っている。

要は予算が少ないから、親や先生の負担が大きいのだ、

という話で、予算があれば、PTAを自腹でやる必要もないし、著者のいうように公費で賄えるはずのものをPTAが負担することもない。

そして、PTAという組織だけで解決できることに限界もある。
「虐待」や「いじめ」あるいは「ネット犯罪」「性犯罪」といった新しい問題に対して、PTAだけでなく、地域全体あるいは、個別に対応できる専門組織で考えなければならないこともある。

また子育て世代はこうしたPTAなどの組織のおかげで良くも悪くも、地域との結びつきや地域組織の大切さに気付くこともあるが、独身男性や独身女性は地域とのつながりは薄いといわれる。そうした世代が、たとえば野球クラブの監督をしたっていいし、PTAとして子どものためにできるボランティアに参加してもいい。

せっかくグローバルな情報社会に生きているのだから、「子どもの未来を考える組織」としてのあり方を、めんどうにならないようにオープンに考えていきたい。
 
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クラウドソーシングによる就労支援は可能か

JUGEMテーマ:育児

子育て時期のママにクラウドソーシングを活用した社会とのつながりを提供

就労支援としてのクラウドソーシングは可能か

先日、市役所のパンフレットで、ひとり親家庭等の就労支援として、在宅就業支援(クラウドソーシングワーク)事業を行う、という趣旨のパンフレットがあった。

なかなか仕事に就けないひとり親に対し、在宅でもできるワークを委託するといった制度だが、なるほど、と思った反面、不安も大きく感じた。

いまクラウドソーシングの世界でも、さまざまなサービスが存在し、その競争は激化している。
そのなかで、プログラミングやデザイン、経理などのスキルや知識があればよいのだが、初心者歓迎、未経験でもできる、という仕事になると、競争率が高く、そして単価が安すぎる。

そのうえ、クラウドソーシングの競争相手は、国内だけにとどまらない。

場所を選ばない仕事なので、海外でもできるし、英語ができるクライアントであれば、英語で発注し、より安い海外の労働力を気軽に使うだろう。

そうしたなかで、自立できるレベルの仕事が果たしてクラウドソーシングで得られるのだろうか、という点が非常に気になるところであった。

アイデア的にはとても面白いと思うし、実際に働くことができるのであればありがたいが、仕事の発注時点での明確な作業内容、契約条件、納期、期間等の確認や、また最低賃金保証、スキルに合った適正金額かどうか、などといったことがしっかりとされていればよい、と思う。

ニュースの記事でも、「社会とのつながり」は提供しているが、実際に家計を担えるほどの「就労」の機会を提供しているわけではない、というタイトルにこのことが現れている気がする。
 
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沖縄の古本屋・市場の古本屋ウララ

JUGEMテーマ:オススメの本

「那覇の市場で古本屋」という本。
こちらはボーダーインクという沖縄の出版社が出している。

ボーダーインクという出版社のことも初めて知った。
沖縄にはこうした独自の出版社をはじめ、県産本、地域独自の本が多数ある、という。

こうした本は、発行部数が少ないこともあり、すでに絶版となっている本が多数あるという。
そのため、ジュンク堂のような大型書店でも拾いきれないほど、点数も多く、新刊では出回っていないという実情もあるそうだ。

著者が大型チェーン店の本屋から、わずか3坪の小さな、市場の雑踏のなかにある古本屋に転身したのもそうした沖縄独特の事情もあるのだろう。
また、それ以上に著者は沖縄独自の本の世界に惹かれていったのだと思う。偶然、前のオーナーがその古本屋を閉めるというめぐりあわせも含めて。

本書を読むと、あまり前面に出るタイプではない著者の性格が、淡々とした日常をつづる文章から感じられる。
日々せわしく人が行きかう市場を、小さな古本屋の女店主が見つめ、描いていく。

沖縄の古本屋のつながりの強さを感じる。
小さな規模の組合、独自の文化の発達した土地ならではの本の流通、そのなかでの協力や共有があって、小さな古本屋を営むことができているのだと。

それは、大型書店の書店員として働いていたときから、本を通して沖縄の人との縁を深め、また沖縄の独特の本屋の雰囲気を敏感に感じ取った著者の人柄と嗅覚が、そのつながりを強くすることを助けているのだと思う。

小さいながらも、真摯に本と向き合い、「本が好き」ということを仕事にしている。

ぜひ、沖縄に行ったときには訪ねてみたい。
 
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大阪都構想の否決。大きな「ムラ」の論理の強さ

与えられた環境か、自ら選んだ自由か -大阪都構想が問いかける、もう一つの大事なこと-

都議会議員のおときた峻氏が、賛成の立場で、都構想をブログに寄稿している。
とても分かりやすく、賛成派の主張がよくとおっていて、反対派の疑問にも答えている記事だと思う。

結果として、大阪市は存続、特別区に分割されることはなくなった。

問題点として、
・大阪市は政令指定都市としては大きすぎる
・市の権限が大きいため、府と対立することがある

そのため、
・広域行政は府に一本化する
・特別区に権限を与え、住民サービスは各区に委ねる

都構想の概略は上記のようなことだと理解している。

年代別、性別、地区別の賛否の票数が出ているが、特に気になるのは「地区別」で、わかりやすく、北と南で賛否が分かれている。

大阪的なもの、大阪の文化圏の中心は南にある。
北はビジネス圏として発展し、都市として整備されているエリアであるが、そのぶん大阪に長く住んでいる人、本当に愛着を持った土着の大阪人、は割合として少ないのではないかと思う。

結局のところ、土着の大阪人(高齢世帯も含め)が強かった、ということに尽きる。
橋本市長が中心となって行った維新の改革は、東京に出て外から大阪を眺めたうえで、新たなモデルを建てる、という新参者の改革者の論理だった。

地方に移住すると直面する問題に、地元の人にいかに受け入れられながら生計を立てていくか、といった問題があり、それと似た関係がここにあるように感じられる。

「この村を改革して活性化しましょう!」と若者が意気込んで村人に呼びかけたけど、先祖代々土着の仕事をしてきた村人から反対された、という構図を、大都市レベルで見たのがこの「大阪都構想の否決」ではないか、と感じている。

その意味では、十分に地元の人と仲良くできず、喧嘩ばかりして、新しいビジネスモデルを受け入れてもらえなかった、という橋本氏の政治的な物事の進め方に問題があったといえる。

さて、そのムラは、ゆるやかに衰退の道をたどり、やがて新しい人は入らず、年を取り、人が減り、荒畑が残り、静かにその終わりを迎えていくのだろうか?

いま、大阪も含め、東京以外の、どの「地方」も衰退しないための「維持」でさえ、必死になってその道を模索している。
大阪市の選択は「維持」ということになるが、「維持」するために前に進む推進力を、再び発揮しなければならない。

失敗した若者が去った後のムラの行方に、いい未来が描けるか分からない。

一方で、大阪市民が「守りたかったもの」というのは、大阪の「土着由来の文化」から発信された地方自治であり、外から輸入された制度モデルに基づいたものではない、ということだと思う。

古き良き大阪人の「大阪らしさ」を再考して、そのうえで再建への道を立て直す、今回の都構想の棄却でもう一度大阪らしい地方自治を考えるチャンスが戻ってきた、とも言える。
橋本氏は、その方向性や思想の賛否はともかく、とても大きな熱量をもって、大阪の問題を考えてきた人だと思う。
同じような熱量を持った人たちが前に立ち、そのチャンスを最大限活かしてほしい。
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Green Drinks@京都KYOCAに参加してみた


京都のKYOCAで開催された「GreenDrinks」というイベントに参加してきました。

GreenDrinksって何?というところですが、参考記事は下記です。

エコでソーシャルな飲み会「green drinks」の未来って? 6つの地域が“いま”と“これから”を見つめ直した「green drinks Japan サミット」

「なんかよくわかんないけど、意識高い系の集まりね」ということであながち間違いではないかと思います。

Greenzはメディア媒体としては、なんとなく知っていた程度で、(正直、「ソーシャル」とかあんまり好きじゃないけど・・)ただ面白そうだなぁと思っていたところに、ホホホ座(ガケ書房)の方も来る、といったところで、なんとなく参加してみました。

参加者との交流が多く、(Greenzの)中の人とも話せたのも面白かったし、京都のNPOで働く方や出版社の方、イラストレーターの方など面白い人たちと知り合えたのもよかった。

ビールを片手に対談を聴いていたので、内容はうろ覚えですが、
これからの「京都」でのテーマはとても面白く、「伝統」というある意味重い文化を担ってしまっている京都ならではの悩みを感じました。
伝統芸能・技術・工芸といったものを、ただ単純な説明で広告化するのではなく、それを面倒な説明をしながら若い人にもつなげていくようなことを考えていかなければならない、という危機感を感じました。

一方で、これまで書店として、どちらかといえば受け身で行っていたガケ書房さんがホホホ座を改めて立ち上げたことで、発信者側にも回っていく、というのが今後とても面白そうだと思っています。

サブカルの巣窟のようなガケ書房の店主が「サブカルなんかで食っていけないよ!NGワードですよ!」というのが面白かった。
「京都 カフェ 女性」が人気ワードだ、という話から「わたしがカフェを始めた日」のことを説明したり、と非常にアグレッシブに語ってくれました。

そんな場所に「主夫」として、参加してみると、意外とちょっと尖った存在に見られてしまって、面白くて、意外と主夫も悪くないなぁと思ったりしましたが、一般的な主婦の悩みと同様「どうやって社会とかかわりを持っていくか」ということをこれからしっかり考えて、頑張りたいなぁと思ったところです。

あ、あと用意していただいた料理がほんとおいしかったです。ごちそうさまでした。

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『がんばらない、だから壊れない。』パブリック空間の曖昧さ


がんばらない、だから壊れない。全国に“心の一服”を広めた「東京シャボン玉倶楽部」メンバーのみなさんに聞く、息の長い活動のヒント

タイトルにあるキャッチフレーズが本当にいいなぁ、と思って記事の紹介になります。

タバコは体に良くない、という認識はおそらく誰もが持っているけれど、喫煙者の方が、喫煙所で、コミュニケーションの場を形成していて、それがきっかけで生まれるアイデアや関係性、そういったものがときに大切になることもあります。

でも、やっぱり非喫煙者もそういうのがしたい、喫煙者だけずるい、みたいなところはあるわけで。

そこで、「タバコの代わりにシャボン玉のあるライフスタイルを提案する」という、いたってシンプルな活動目的をもって、それを続けている団体が「東京シャボン玉倶楽部」です。

喫煙所ならぬ「シャボンダマステーション」を各地に設置してもらい、シャボン玉スティックをもって、自由に集まれる空間を作る。

とてもシンプルだけど、なかなか発想できない、面白い取組みで、問い合わせも多い、とのこと。

ただし、マネタイズはしない、組織としてもゆるく代表者もいない、ただプライベートなつながりだけがある、といったやり方で団体を運営している、という。


昨日、スタンダードブックストアで行われた『PUBLIC DESIGN 新しい公共空間のつくりかた』の発刊記念イベントで、著者の馬場正尊氏とGreenzの小野裕之氏との対談の中で、この取組みが紹介された。

公共空間についてめぐる議論のなかで、こうしたソーシャルな取り組みを紹介するメディア発信を行っている小野さんは、
「パブリックってあいまいな空間だから、おびえるじゃないですか」と述べ、馬場さんは深くうなづいていた。
その曖昧さを埋める装置として、シャボン玉が機能している、事例だとしている。

こうした空間を共有することで生まれる関係性は、とても面白い。
馬場さんは空間をデザインする建築家でもあるので、空間からデザインしていく人だけど、そうじゃないやり方もあるんだ、という視点にとても感心していた。

「ぼくらはプライベートな空間を守って、何を得たかったのだろうか?」という問いを小野さんは突きつける。

自分のものにする「所有」ということにとらわれ続けて消費をし続けるのが、資本主義だとしたら、小野さんの問いはそれに真っ向から戦うものになる。

「がんばらない、だから壊れない」という表現はとても響くものがあった。

パブリックな空間、自分たちで作る共有された空間を維持していくのに、とても重要なキーフレーズのように感じた。

ソーシャルなもの、パブリックなもの、というのはまだどこかあいまいでうまく捉えきれず、有効に利用できないところがある。
ただ、そういったものの扱い方のヒントを、Grennzという媒体は集めているのだと思った。

非常に刺激的な対談を聞くことができて、本当に良かった。


 
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蔦屋書店梅田に来て思うこと

なぜ「TSUTAYA」が家電店をやるの? 『TSUTAYAの謎』増田宗昭に川島蓉子が訊く

今、この記事を梅田の蔦屋書店で書いています。
無料で使えるwifiがあって、電源があるテーブル席があってとても快適です。

記事中にもあるが、TSUTAYAは既存のレンタル店以外に、代官山蔦屋書店を皮切りに、「ライフスタイルの提案」という新しい戦略で事業展開を進めています。

梅田店も同様に、ライフスタイルの提案型の書店で、ジャンル別の棚のほか、「新しい働き方」「地方で生きるには」等の文脈に沿ったジャンル横断的な棚作りを行っています。

ただ、正直まだ出店したばかりというところも含めて、マイナスの要素が目立つような気がします。

実際に、足を運んでみて、第一印象は「迷う」でした。
文字通り、迷子になります。

スターバックスの店舗とソファー席等のラウンジを中心に円形の本棚が作られており、その円の外側に放射状にジャンルごとの棚が作られていたり、カフェや美容室、アップルストア等が展開しています。

円形の本棚は両面に本が並べられており、すべてを眺めるのに最低でも2周まわらないといけません。
さらに、天井まで伸びる本棚のせいで、奥行きが見えず、ぐるぐる回っているうちに一周しているのかどうか、よくわからなくなります。

「あれ?ここの棚さっきも見たような・・・」
「デザイン系のコーナーはどこだっけ?」
「カフェに戻れない・・・」
等、「本の森のなかに迷いこんた」ような感覚です。

そのため、探している本が見つからない。もちろんそれは狙ったもので「本との偶然性の出会い」を演出しているものだと思われるが、肝心の「本」がどこか見えなくなっているような気がします。

セレクトショップ型の書店も、この規模になるとその並べ方がより一層難しくなるのがよくわかります。

大阪には蔦屋書店の出店以前から、魅力的な本屋は多くあります。

心斎橋のアセンス書店(現在改装中のためアメリカ村が本店として営業しています)、スタンダードブックストア、
京都に足を伸ばせば恵文社一条寺店、等々。

加えて、品ぞろえに関しては、既存の書店としてジュンク堂・紀伊国屋書店など、大型書店が存在します。

蔦屋書店梅田は、その両者を兼ね備えたような店がまえだと思います。

朝早くから夜遅くまで営業しており、大阪駅のビル内、500席の休憩スペースを用意、など、とにかくとても間口が広いので、本を軽く読みたい人や、ショッピング感覚、あるいはあまり本を普段読まないけど、興味がある等といった層にはとても受け入れられるところだと思います。
また、これだけのスペースと集客力があれば、今後面白いイベント企画もできそうです。

やや大衆的な感が拭いきれないところで、本当に本が好きな人にとっては少し受け入れがたい要素を含んだ書店でもあるかと思いますが、単純にいい本もたくさん置いてあるので、時間に余裕があって、膨大な本の迷宮に迷い込んでみたいときには、ぜひ足を運んでみるのもいいかもしれません。

 
時事問題 | comments(0) | trackbacks(0)

パパの公休日

子供の1歳の誕生日に有給取得を推奨する「パパの公休日」実施 - P&Gなど

とてもいい取り組みだなぁと思う。

引用の部分、アンケート結果では休みを取りたいけど、取れない、という結果。

周りに意識の高い父親が多くて、忘れがちになるけど、
ふだんあまり子どもと接していなくて、関心が高くなかったとしても、
父親として取りたい、と思う人はやっぱり多いのだと思う。

制度があるだけでも、ずいぶん違ってくると思うので、制度から固めちゃうのはありだなぁ、と思う。
(実際に取れるかは、また別にして)
まだ賛同企業が少ない中、NPOと連携して賛同するだけで、企業の印象も好くなる。
 

父親の69.8%が「子供の1歳の誕生日にお仕事を休みたい」と回答。一方で、「子供の1歳の誕生日に休みを取らなかった父親」は82.3%にのぼる。


公式サイトの動画もとてもいい。
ここまで作られたサプライズでなくても、家族でのんびり一緒に過ごせてくれたらいい、と思う。
そして、1歳の誕生日にはお母さんもすでに働いているケースも多いだろうから、パパの公休日はママの公休日でもなくてはならない。

パパの公休日


子ども | comments(0) | trackbacks(0)

はじめての福島学。一地方としての福島の現実を見つめること

評価:
開沼 博
イースト・プレス
¥ 1,620
(2015-03-01)

震災当時に福島の原発をめぐる中央と地方の権力構造をテーマにした論文を書籍化して以後、ずっと福島に関する質的・量的研究を続ける社会学者の著者による福島の現実を知るための「福島学」の本棚。

400ページ以上ありながら、大変読みやすい語り口で、手頃な値段で、一般向けに書かれています。

震災からわずか4年にも関わらず、精力的に、実直に福島の問題に向き合いながら、極端な議論や炎上に巻き込まれることなく、多くの知見を提示してこられた著者の研究成果に、まず率直に敬意の念を抱きました。

震災以後、多くのメディアに露出し、正しい理解を求めてきた姿勢がとてもよく伺えるとともに、著者自身、多くの厄介な人たちに散々絡まれてきて、ときには言われもないひどい言葉も投げられたんだろうと思います。

社会学者には、社会を斜に構えてみたり、アウトロー的な面白い視点で語る一方で、どこか浮き世離れしていたり、机上の論理だけで語る者も多いが、著者は地に足を着けた実直な語りを行っています。

著者の問題意識は、まさに福島のこととなるとすぐに過熱しがちになってしまう雰囲気、そして結局「面倒くさい」になってしまい、正しい現実の福島とイメージで語られる福島のギャップが埋まらないことにあるかと思います。

まず、冷静かつハイコンテクストにならない議論を進められるよう、データをみて、福島をビッグワードとの関連だけで片付けない。

福島の特殊性の問題と、一地方の普遍的な問題、その両方の問題を切り分ける。

そうしたことが、そもそも議論をするための前提である、ということが本書から分かります。

本書で語られることは、あくまでもその前提にたどり着くところまでで、実際にどのような手段をもって、今後の福島と付き合っていくかはあまり語られていません。

そのあたり、さまざまな地域のコミュニティデザインや、振興策といった過去事例のあるなかで、福島なりの地域性を活かした進め方をどのようにされるのか、といったところを、今後の活動に期待したいと思っています。
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