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「主夫」でいるということ

JUGEMテーマ:育児

驚くほど自然。ある専業主「夫」の人生  

私が自分で「主夫」を名乗るようになって、2か月ほど経った。

もともと、病気で会社に行けなくなり、そのまま治療をしながら家にいて家事をしている。
自然と、主夫や家事・育児の話題やニュースに関心がいくようになり、なんで自分は働けなかったのか、ワークライフバランスを保てなかったのか、さまざまなことが頭に浮かんでは消え、悩んで、ただ苦しかった。

ふつうに仕事をするのは難しい、とはっきり諦め、せめてできることをやろう、と思い「主夫」と自分のことを名乗るようにした。
そうしたら、なにか自分に役割が与えられたような気になったし、不思議と「主夫」と名乗るようになってから、できた知り合いも多い。

自分にとって、「主夫」を名乗ることは一つの決意表明に近いものだった。



でも、冒頭の記事を読んでいると、とても自然な主夫の姿がうかがえる。自然に主夫しててもいいんだ、っていう安心感が得られる記事だ。いろんなニュースを読んでいると、みんな主婦や主夫になっても「頑張りすぎ」ている気がする。
長時間労働しているのは、サラリーマンだけじゃないように思えてくる。シュフも、そうとうに子どものことで苦労し、日常の家事をこなし、夫や妻のいないあいだにできる生活に必要なさまざまなことを整えなければならない。

記事を読むと、共働きはリスクヘッジになる、という言葉もあまり説得力の強いものではなくなってくる。
働けるほうが働く、家事できるほうが家事する、その役割を交代ずつ担う、というのも一つのやり方だし、価値観が合うならどちらか一方がそうしててもいい。
子どもの成長によってもそうしたバランスは異なってくる。

「家族」のあり方について、最近は頭をめぐらしている。

ただ、家族が楽しく、いろんなことを一緒にやって笑って過ごせたら、それだけでいいはずなのに。

効率や競争・比較、そういうものに毒された自分の考えが、邪魔をしている。

自然に「家族」を作ることの難しさ。

少し、話が変わるけれど、東日本大震災がおこったとき、自分が当たり前のように立っているその場所が、こんなにも脆く揺れやすいものだと知ったとき、それまでと変わらない軸足で立っていくことはすごく難しい、と実感した。
不安定な社会であればあるほど、その場に泰然と立って自分の軸足を確かなものにすることは難しいのだ、と。

男女平等・女性の社会進出・ワークライフバランス、様々な議論が起こり、意見や価値観が対立し、誰もが自分の思う理想と現実とのギャップに悩み、またそれを埋めようと肩肘張って頑張っている。

ふと、気づくと本当に大切にしたかったものを見失っているような気分になる。

今も、私はとても悩んでいる、苦しんでいる。それは病気のせいなのかもしれないし、多くの情報に惑わされ、理解が追い付かず、体が拒否反応を起こしているのかもしれない。

それでも、考えながら、自然と落ち着ける立ち位置を探していきたい。
たえず変わっていく社会と家族の変遷の中で、自分も周りも楽しんで生きていける立ち位置を。
 
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