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ぼくたちは上手にゆっくりできない

JUGEMテーマ:映画

ぼくたちは上手にゆっくりできない

岸井ゆきのさんが見たくて、DVD借りました。

「コーヒー」をアイコンに、それぞれ人気の作家が書いた3編のショートムービーを展開。

どれも、特徴的なヒロインが出てくる。
死んだはずの少女、目の見えない女の子、ちょっと変わった同僚。



それぞれの物語は全く別々の物語なのに、どこか統一された世界観が漂っています。
現実とそこではないどこか、それをコーヒーがつないでいます。

「どこで逃げたくなるようなコーヒー、飲んだんですか?」

コーヒーの独特の匂いはときに特別な記憶を思い起こさせることもあるし、覚醒して眠れなくなる夜は長く、不思議な夢を見ることもある。
未熟で不完全な自分が、少しだけカフェインの力で特別になれるような気がする。
でも、その実、不安を押し殺して生きづらさをごまかしているような不器用な自分にも気づく。

上手にゆっくりできない、というタイトルとは逆に、とても上手く役者たちはその不器用さを演じています。

ミニシアター的な作品ではあるけれど、十分楽しめる映画でした。


 
評価:
---
Happinet(SB)(D)
¥ 6,500
(2016-05-03)
コメント:「コーヒー」をアイコンに、それぞれ人気の作家が書いた3編のショートムービーを展開。

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「仕事と家族」と地域の可能性

JUGEMテーマ:オススメの本

仕事と家族。
働きづらく、産みづらい。

テーマとして、どちらも大きく人の人生に関わるものでもあり、そのどちらも「しづらい」状況にある今は、とても生きづらいのだろうか。

少子化の要因は、これまでの研究のなかでもいくつか分析されていて、主に以下の3つに分けられる。

・機会費用
・両立困難
・希望水準


女性が出産育児にかかる際に、一時的なキャリア中断が起こることにより、所得が減少するなどの機会コストがかかるため、出産を躊躇する、という説。

共働きフルタイムでの出産育児において、女性が育児休業から復職するにあたって、育児と仕事との両立が困難である、あるいは困難であると予見できるから躊躇する、という説。

女性の高学歴化・総合職キャリアの獲得により、結婚時に男性に求める仕事のレベル・また生活能力(家事スキル)の水準が高まり、結果的に晩婚化が起きている、という説。

どれも、要因としてそれぞれの力は働いていると思われるが、著者はそのなかでも希望水準説が、特に強い要因であるとしている。


また、著者は男女雇用機会均等法と日本の無限定的な総合職的働き方のパラドックスを指摘する。

総合職キャリアの無限定性とは、時間・勤務地・職務内容のそれぞれにおいて限定しないことを総合職の暗黙の前提としており、この前提が女性や外国人等を基幹労働力から排除している、というものである。

一方で、男女雇用機会均等法のたてまえ上、女性の社会進出・総合職への転換が行われており、こうした状況の中でパートナーのうち、どちらかが(ほとんどの場合、女性が)そのキャリアプランを諦めざるをえない状況になっていると指摘している。


また、家事負担の軽減として、育児・家事の外部化(アウトソーシング)の可能性が考えられるが、外部化した先のケアワークの担い手のほとんどは女性であり、女性は自分のハウスワークをしない代わりに、他人のハウスワークを行う、という労働力の横流し、あるいは経済格差を利用した(移民の活用を含め)外部化にすぎない、という問題も提起している。


なんだか、結局、八方塞がりな現状を示してくれているが、何か救いは無いものか。

セカンドキャリアの活用、また総合職の無限定的な前提の見直し、などが考えられるが、どちらも民間企業の委ねられるものではある。
育児支援においては、保育サービスの充実は一定の効果がある、と統計的にも示されている、という。
ケアワークについては、課題が残る部分はあるが、雇用機会や所得をより増やすことのできる分野である、と感じる。


個人的に、本書を読んで気になったのは「通勤」して「オフィス」や「工場」で働く、という工業化・商業化後に一般化した働き方だ。

かつて、仕事は家あるいはその周辺で行うもので、男女問わず、家事の延長上にあるものとして、農業や手工業を行ってきた。
平川克美さんなども提唱している「小商い」という働き方は、最近注目されてきている。

自分が住んでいる「地域」を離れて、遠方の都心に通勤する働き盛りの世代は、子どもの教育に保護者として(PTA等の活動を通して)かかわる中で「地域」のシステムの旧態依然な部分や互助・善意によって成り立つ組織のあり方に驚く。

しかし、そもそも、都心に通勤する多くの会社員は、そうした地域自治を高齢者や一部の主婦に任せ、その地域に何の見返りもなく安全に住むことができている「フリーライダー」でもあるのだ、と思う。

長時間労働による弊害ばかりが、男性の育児参加・少子化・女性の社会進出の壁といった問題の中で、取り沙汰されるが、「通勤」して家・地域と職場が離れてしまっていることもまた、家の内と外の仕事を大きく隔ててしまっているようにも思う。

家の周縁としての地域・地域の中での仕事、そうしたところに若年者の雇用や育児世代のセカンドキャリアの活用のヒントが見出せないだろうか。
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多拠点居住、ナリワイ、そして『フルサトをつくる』こと

JUGEMテーマ:オススメの本

「フルサトをつくる」は単なる田舎への移住のススメや自然主義的な地方礼賛本でもない。

都会のほうが面白いことが多いし、イベントごともいっぱいあるし、人も多くて賑やかだ。

でも、地方は静かで、自然豊かで、家も土地もたくさんあって、畑をやったり、空き家再生したりと、することも意外と多いし、生活コストも低い。

ここで、都会と地方、どっちがいいか、みたいな話になるけれど、どちらか一方しか選べない、なんてわけでもない。

たまに遊びに行くことができて、いざとなったら、安心して帰ることのできるコミュニティがある場所、それが「フルサト」だ。

完全に田舎に移住しなくても、田舎の良さを味わいながら、生活の拠点をいくつか持つ。インターネットや交通網の発達によって、そうした生き方も十分可能になった。

田舎に実家がある人もいるかもしれないが、それとは少し異なる。
そうした血縁・地縁ほどつながりは強くないけれど、適度に気の合う仲間が集まる田舎のコミュニティ、といったイメージだ。


そんなもの本当にできるの?と思うかもしれない。
本書では、どうやってフルサトをつくるか、ということについて、実際にフルサトをつくって、一つの拠点としている伊藤氏と、それに乗っかったPha氏の二人で、自身のその実践事例を紹介している。

住む場所の見つけ方、コミュニティ・イベントの作り方、仕事の作り方(見つけ方ではない)、など。

本書の全体を通して感じる雰囲気は「無理しない」「頑張りすぎない」という力の抜き加減だ。

ずっとその場所で暮らすとも限らない、失敗してもほかの土地はいっぱいある、一人でやらない、楽しいことを見つけながらやる、
リスクはとらない、など「移住」という言葉の重さやハードルをできる限り下げてくれている。

Pha氏の「だるい」「めんどうくさい」という感覚は、一見否定的で怠惰な印象だけど、とても大切なことで、そういった気持ちを大事にしないと、どこかでストレスを感じてしまっていて、楽しいはずのことが楽しめなくなる。
彼の生き方すべてを肯定するわけでもないし、頑張っている人や、向上心の高い人を否定するわけでもないけれど、生きていることに疲れている人が大勢いるなかで、だるいなぁと思いながら、「面白い」と思うようなことを実践している彼の生活感覚はとても好きだ。
たぶん、同じ大学の卒業生なせいもある。あの大学は結構の割合で人をダメにする。そして、ダメな人のほうが面白く、価値が高いという文化が一部にあったりする。


「フルサト」というカタカナの故郷は、新しい故郷の考え方だ。

「ちょっとやってみませんか」という軽い誘いで本書は締めくくられる。

軽い気持ちでも、意外とやれる、ということを示してくれる多拠点居住・プチ移住の本というのも面白い。
そして、そんなフルサトでの暮らしやそこに集う人たちも、またきっと面白いだろう。
 
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なぜ「PTA」はめんどうくさいのか?

JUGEMテーマ:オススメの本

PTAに関する話題が、ネット上で散見される(毎年恒例の)時期になったので、改めてPTAの関連本を読んでみた。

 PTAが無くなったら、学校は本当に困るのか?

著者は、最近こんな記事を日経DUALで更新している。

この本の中でも、まず「PTAは任意団体で、強制加入させてはならない」という大前提を掲げている。

そういった説明やPTAの趣旨や目的のないまま、自動入会させられ、強制的に集金され、役員や何らかの係・委員会をさせられる、ということが問題だ、というよく考えなくても当たり前のような話から始めなければならない。

でも、組織に属していると、そういう会はいっぱいある。
地域の「自治会・町内会」もそうだし、会社の「社員会」もそうだ。もしかしたら、大学のサークルですら、他大学との「連合会」があって、それぞれ何らかの役回りをさせられたり、お金を取られたりしてるかもしれない。

それぞれ、本来、自分たちのためだったり、地域・子どものためという目的があるはずで、そこに加入することで得られるメリットがあるから活動する、ものなのに、「やらされてる感」が出てしまうのはなぜだろう。

本書でも、そうした疑問から、各地のPTAでさまざまな工夫がされた事例を紹介している。


それでも、毎年毎年「PTA」に対する不満、不平、悪い噂は絶えない。

いくつか原因が考えられる。

・役の交代が早く(1年任期等)、ノウハウが継承されない
・慣例が強く、やらされるものだ、という固定観念が強い
・地域・時代ごとに実情や課題が違い、その対応も異なるのに、議論のなかでは同じ「PTA」として語っている

教育や子育ての話題は、世代間で揉めることが多い。また、地域間でも同様に揉めることがある。

高度経済成長期の働き方と子育てをしていた親世代と、経済熟成期に入り多様な子育て・働き方をしている現役世代では、価値観は全然違うはずなのに、「PTA」の話になると、なぜか急に古臭い話になってしまう。


結局、それぞれの時代にニーズにあったやり方で、やりやすいようにやりなさい、というのがシンプルな答えなのだけど、そこにたどり着くまでに、親同士で長い長い議論が必要になりそうだ。

ただ、そうした前提条件だけでも、継承していくことは必要なことだと思う。
「PTA」に関する正しい情報を伝え、こういう柔軟な組織だよ、ということを絶えず伝えていく。

「PTA」が「めんどくさい」になってしまっているのは、なにか固定的な観念に囚われているからだ。

その固定観念を取り外してくれるのは、やはり経験者や先達なのだと思う。


ただ、それですべて問題が解決されるわけではない。

そもそも「教育」が公共財である、ということをもっと政策として重視すべきだと思っている。

要は予算が少ないから、親や先生の負担が大きいのだ、

という話で、予算があれば、PTAを自腹でやる必要もないし、著者のいうように公費で賄えるはずのものをPTAが負担することもない。

そして、PTAという組織だけで解決できることに限界もある。
「虐待」や「いじめ」あるいは「ネット犯罪」「性犯罪」といった新しい問題に対して、PTAだけでなく、地域全体あるいは、個別に対応できる専門組織で考えなければならないこともある。

また子育て世代はこうしたPTAなどの組織のおかげで良くも悪くも、地域との結びつきや地域組織の大切さに気付くこともあるが、独身男性や独身女性は地域とのつながりは薄いといわれる。そうした世代が、たとえば野球クラブの監督をしたっていいし、PTAとして子どものためにできるボランティアに参加してもいい。

せっかくグローバルな情報社会に生きているのだから、「子どもの未来を考える組織」としてのあり方を、めんどうにならないようにオープンに考えていきたい。
 
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沖縄の古本屋・市場の古本屋ウララ

JUGEMテーマ:オススメの本

「那覇の市場で古本屋」という本。
こちらはボーダーインクという沖縄の出版社が出している。

ボーダーインクという出版社のことも初めて知った。
沖縄にはこうした独自の出版社をはじめ、県産本、地域独自の本が多数ある、という。

こうした本は、発行部数が少ないこともあり、すでに絶版となっている本が多数あるという。
そのため、ジュンク堂のような大型書店でも拾いきれないほど、点数も多く、新刊では出回っていないという実情もあるそうだ。

著者が大型チェーン店の本屋から、わずか3坪の小さな、市場の雑踏のなかにある古本屋に転身したのもそうした沖縄独特の事情もあるのだろう。
また、それ以上に著者は沖縄独自の本の世界に惹かれていったのだと思う。偶然、前のオーナーがその古本屋を閉めるというめぐりあわせも含めて。

本書を読むと、あまり前面に出るタイプではない著者の性格が、淡々とした日常をつづる文章から感じられる。
日々せわしく人が行きかう市場を、小さな古本屋の女店主が見つめ、描いていく。

沖縄の古本屋のつながりの強さを感じる。
小さな規模の組合、独自の文化の発達した土地ならではの本の流通、そのなかでの協力や共有があって、小さな古本屋を営むことができているのだと。

それは、大型書店の書店員として働いていたときから、本を通して沖縄の人との縁を深め、また沖縄の独特の本屋の雰囲気を敏感に感じ取った著者の人柄と嗅覚が、そのつながりを強くすることを助けているのだと思う。

小さいながらも、真摯に本と向き合い、「本が好き」ということを仕事にしている。

ぜひ、沖縄に行ったときには訪ねてみたい。
 
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